東日本大震災復興支援

このたびの大規模震災で被災された皆様へ

東日本大地震、大津波で被災された皆様、
また被災地に縁の深い関係の皆様に、謹んでお見舞い申し上げます。

また、皆様の安全と一日も早い被災地の復旧、復興をこころよりお祈り申し上げます。

2011年4月27日  岩手県人連合会

東日本復興義援金について


岩手県人連合会ではこのたびの東日本大震災の義援金を受け付けております。
ご協力頂いた義援金は「岩手県災害義援金募集委員会」に送金させて頂きます。
活動にご参加いただける方は、下記口座にご送金ください。
被災地復興に向け、皆様のご協力を宜しくお願い致します。

郵便払込口座  00120-0-32036
名    義  岩手県人連合会

各ふるさと会の活動


東日本大震災 ガンバルふるさと会

3月11日の東日本大震災から早や半年以上が経過しました。
岩手県内の被災地、とりわけ津波被害の大きかった三陸沿岸市町村は、壊滅的な被害を受けながらも懸命に
復旧・復興に力強く立ち向かっております。
そのことを広く全国に在住しておられる岩手県人の方々にご理解いただくことと、各地域ふるさと会の
震災支援活動などを順次ご紹介し、併せて引き続きのご支援とご協力をお願いいたします。

第1回 -釜石はまゆり会-

第1回目は、釜石はまゆり会から釜石市の被災直後の惨状写真と、小中学生の勇気ある避難行動、そして、支援活動などの一端をご報告いたします。

1.釜石市内小中学生の避難生存率99.8%は奇跡じゃない。!!

ある女子中学生が自宅で地震に遭遇した後、自宅裏のおばあさん連れて逃げるのが自分の役割と考え、逃げる準備をするおばあさんを待っている時に地震の第2波が襲ってきて箪笥の下敷きになり命を落としました。この少女を含め病気で学校を休んでいた5人の小中学生が残念ながら亡くなりました・・・。しかし、学校で何年も前から『地震が起きた時は、まず逃げること』を実践訓練してきた小学生1927人、中学生999人の命が助かりました。実に99.8%の生存率に多くの大人は「奇跡」と呼びましたがそうではありません。子供達自らが学校教育で身につけた実践力・対応力が「想定外」を乗り越えたのでした。

2.市民有志が「復興・釜石新聞」を立ち上げた!!

6月11日創刊号、釜石新聞社代表社員 菊池征毅氏の発刊の言葉から抜粋しました。
『自分も被災者の一人として初めて体験した避難所生活で一番欲しかったのは「情報」でした。食糧・水・寝具は勿論ですが、肉親、友人、知人らの消息を知りたい。生きているのか・・どうしているのか・・。便利なはずの携帯電話やテレビが使えないもどかしさ、頼りになるのは身近な情報をつぶさに伝えてくれる地元紙。その発行の継続が難しくなった(長年親しまれてきた地元紙「岩手東海新聞社」が被災して再開できなくなった。)中、4000人以上の死者を出した石巻市では地元紙が壁新聞を手書きして市民を勇気づけたことを聞きこれほど地元紙を渇望した事はありません。(中略)当面は釜石市の委託を受けて市の災害対策本部儒応報紙として週2回発行、無料で市内全所帯に届けたい。いずれは地域紙として自立し、市民に愛される新聞にしていきたい・・・』

3. 被災地へ直接支援を!

被災直後に多くのふるさと出身者から寄せられた『義援金を地元被災者に直接届けるにはどうしたら良いか・・・?』との声に応えようと、首都圏に在住する釜石地区の旧4高校(南・北・商業・工業)同窓生と釜石ゆかりの人達でつくる岩手県人連合会加盟団体「釜石はまゆり会」(金山亜希雄会長 会員約3000名)が中心となって支援活動の準備を進め、4月早々に会員以外にも輪を広げて約4700名に義援金の呼びかけを行いました。
その結果、4~8月の5か月間で約1500件の個人・法人から3500万円余りが集まりました。旧4高校同窓生には当時大槌町や山田町から汽車通学した人も多くいたことから釜石市のほか両町にも按分して義援金全額を贈りました。
義援金呼びかけハガキ(4700通)の宛名書き、そしてご支援いただいた一人一人へのお礼と報告(1500通)等きめ細い作業を全て在京ふるさとの有志でボランティアで行いました。そして募金開始と同時に国税庁に申請しておりました「釜石はまゆり会の義援団体扱い」について日本赤十字社やNHK助け合い募金などの大手団体と同様に団体承認をいただきました。(募金された方々は、来年の確定申告時に、個人は「寄付金控除」法人は「損金扱い」の優遇措置がうけられます。今年で26周年の釜石はまゆり会は、毎年11月に東京で定例総会を開催しておりましたが、大震災の影響を受けて今年は見合わせることになり、釜石市の復興、新しい町づくり報告と更なる支援活動のため、来年5月26日に開催することが決まりました。(釜石はまゆり会事務局 藤原孝次)

4.大津波直後の被災写真(釜石市の写真家藤枝宏氏提供)

 
大渡町:何度も押し寄せる津波に屋根に上り避難する人々。
眺めの良い釜石小学校登校坂から、まさかこのような惨状を
見ることになるとは。(平成23年3月11日)
 
大町:釜石のメイン通りである大町の青葉通り交差点の
瓦礫の中を進む自衛隊員。自宅が心配で歩く市民の姿も。
(3月13日。以下 年を略。)
 
大町:津波翌日の大町商店街。日中は多くの人が行き交う
釜石一の繁華街が、無残にも瓦礫の山となってしまった。
被災した商店街をむなしく朝日が照らしていた。(3月12日)
 
松原:松原神社より被災した松原・嬉石の街を望む。
鳥居は一刻も早い復興を願っているようだ。(3月31日)
 
嬉石:釜石警察署と沿岸免許センター周辺には
津波で流された車や瓦礫が散乱していた。(4月3日)
 
鵜住居:釜石市内最大の津波被害を受けた鵜住居町。
建物はほとんどなぎ倒され、はるか片岸町まで見通せるように
なってしまった。写真中央は鵜住居駅。(4月4日)
 
両石:強固な防波堤によって守られていたはずの
両石町だったが、津波によって防波堤はズタズタになり、
町はほぼ壊滅してしまった。(4月4日)
 
平田:押し寄せた津波より、漁業関連施設は
壊滅的な打撃を受けてしまった。(4月5日)
 
尾崎白浜:津波の猛威は比較的高台にある家屋の
屋根まで破壊してしまった。(4月5日)
 
大石:釜石最南端の漁港は、津波によって
海沿いの家屋が全壊となった。(4月5日)
 
小白浜:大きな防潮堤を乗り越え、津波被害が甚大となった
唐丹町の中心・小白浜(4月5日)
 
根浜:釜石海洋レジャーの中心・根浜。レストハウスも
津波の直撃を受け、海の中に傾いてしまった。(4月6日)
 
箱崎:一面瓦礫の街となった箱崎。我が町のあまりの惨状に
肩を落として歩く住民。(4月6日)
 
室浜:松の木に宙釣りになった漁船と無残にも打ち上げられた
漁船。津波の威力をまざまざと見せつけられる。(4月6日)
第2回 -東京宮古同郷会-

第2回目は、東京宮古同郷会から、宮古市の被災直後の惨状写真と、復興に向け元気を取り戻そうと奮起するふるさとの現状、そして、第16回目黒のさんま祭りにおける同郷会の支援活動などの一端をご報告いたします。

1.「第16回目黒のさんま祭り」でふるさと宮古を全国に発信!!

「ふるさとを誇れる目黒のさんま祭り。私たちにできることを一つずつ実行し復興を支えよう!」
同郷会のメンバー皆が、例年以上の意気込みでのぞんだ今年の祭り。震災の影響で開催が危ぶまれたものの、水産関係者らの復旧・復興への取り組みにより、9月4日に無事開催されました。例年同様、宮古市から7千匹のサンマが提供され、支援への「感謝」と復興への「決意」を全国に発信しました。

 
「スクラムをがっちり組んで頑張ろう!」
祭りの開会に先立ち、白土正治会長の掛け声の下、
拳を振り上げる同郷会のメンバーたち
 
3万人を超える人出でにぎわった祭り。
メンバーは「がんばれ宮古」の文字が入ったTシャツを着て、
「感謝と復興のサンマ」を炭火で焼き上げた

2.復興に向け、ふるさと宮古は一歩一歩前へ進んでいます!!

被災直後に沈んでいた街も、現在では市民一人一人の復興にかける熱意によりさまざまな催しが再開され、元気とにぎわいを取り戻しつつあります。宮古・田老・新里・川井各地域の住民が協力し合い、復興に向け力強く前へと進んでいます。

 
第27回みやこ秋まつり~復興祭~
(9月17・18日/魚菜市場前~宮古駅前)
 
第65回田老地区体育大会
(10月10日/グリーンピア三陸みやこ多目的アリーナ)
 
第30回新里まつり(10月16日/新里トレーニングセンター)
 
2011やまびこフェスタ(9月3・4日/道の駅・やまびこ館)

3.大津波直後の被災写真(宮古市提供)

 
閉伊川の防波堤を越える真っ黒に染まった波
 
ごう音とともに市街地へ流れ込む津波(宮古大橋方向)
 
浄土ヶ浜大橋から見た蛸の浜、港町方面
 
集落全体が壊滅的な被害を受けた金浜地区
 
製氷工場やアワビの種苗生産施設などが失われた重茂漁港
 
一面ががれきと化した田老地区
第3回 -ふるさと花泉会-

大震災復興支援の集い     ふるさと花泉会 幹事長 皆川弘美

 第23回ふるさと花泉総会・交流会は11月20日(日)中野サンプラザにおいて行われました。
これはふるさとの皆様、会員の皆様そして多くの皆様のご協力の賜物であり厚くお礼申し上げます。
今年の総会・交流会のテーマは、「大震災復興支援の集い」と題して、
1.震災報告 3名
(1)奥住会長「震災の大きさに驚愕~宮古市を訪ねて~」
(2)黒澤顧問(前会長)「東日本大震災関係(大船渡市)」
(3)大野幹事「東日本大震災・宮城県本吉郡南三陸町志津川」
現地に赴き活動してきたことを含めて報告していただきました。
2.被災地宮古出身で歌手・水元亜紀さんの歌謡ショウ(人生の応援歌)
3.義援金等
昨年に引き続き「ブックキャンペーン」(小・中学校の図書購入資金)やふるさとの物産販売等も行いました。
4.今年度の活動の主なものを紹介いたします。
(1)第8回ふるさと塾(花泉中学校三年生 花泉地方の歴史と生命の伝承について 千葉顧問・花泉町永井出身)
(2)第9回ふるさと塾(花泉中学校修学旅行自主研修・講演会、高崎経済大学教授千葉貢氏・花泉町油島出身)
(3)少年野球教室、南牛フェア及び江東区民まつり支援等
(4)災害寄付金(10万円)等 ふるさととの交流を図ってきました。

来賓として一関市役所花泉支所長を初め、花泉高校同窓会長・教育振興副会長、岩手南農業協同組合代表理事専務、一関市社会福祉協議会花泉支部長、岩手県東京事務所及び一関ふるさと会の出席や祝電(県知事等)をいただきましたことに厚くお礼申し上げます。
今後も、ふるさとの皆さんと共に活動をしてまいりますのでよろしくお願いします。

■□ 詳しくはこちらをご覧ください: ふるさと花泉会 総会会報(PDF)>>

 

 

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